掲載日 2020年7月17日
仕事を辞め、10年ぶりに戻ってきた自分を
受け入れてくれた村
高校卒業後村を出て大手企業に勤めていましたが、仕事で思い悩んでいたことから、30歳を前にして長期休暇を取り、2週間ほどアメリカを車で旅しました。この機会に英語を話せるようになりコミュニケーションが取れるようになれば、内気な自分を変えられる気がしていたんです。結局はそんなことで自分を変えられるはずもなく、帰国後そのまま勤めていた会社を退職しました。「これから何をするんだ」と聞かれたとき、アメリカの雄大な自然の中で、趣味だったカメラを向けて夢中で写真を撮っていたことをふと思い出し、とっさに「カメラマンを目指す」と答えていました。そうして生まれ故郷の十津川村に帰ってきたんです。
「何を考えているんだ」という知り合いもいましたが、村の人たちはみな「せっかく帰ってきたんやからゆっくりしていき」と顔を合わせるたびに言ってくれました。10年間疎遠だった私をふるさとが温かく受け入れてくれたことはうれしかったですね。そうして始まった村での生活は、最初からうまくいくわけはなく、母親のすすめでまずは郵便局でアルバイトをするようになりました。
村のために貢献したい、その思いで
頼まれたことには何でも挑戦し
カメラマンの夢に向かって起業
当時の職場では、エクセルやワードを使って書類を作ってほしいという依頼が多くあり、パソコンが多少扱えた私はそんな仕事を担当していました。ある日、旅館を営んでいる方が、パンフレットを作りたいからと写真を持って相談に来られたことがありました。それならこの写真を使って、自分が使えるデザインソフトを駆使してパンフレットを作ってあげようと思ったんです。出来上がったパンフレットはとても喜ばれ、ホームページも作ってほしいという依頼もいただきました。ほとんど知識もなく、できるかどうかわからないまま引き受けました。すべて独学でしたが、物事に没頭しやすい性格と静かな環境が功を奏したのか、試行錯誤を繰り返すうちに少しずつ理解が深まり、ホームページを無事完成させることができました。オリジナルのロゴを作ると大変喜ばれ、そこから名刺やパンフレット、ホームページの依頼へとつながり、村の中でも口コミで仕事がどんどん広がっていったんです。
2006年に「もちもち工房」を開業し、これまで村の人から頼まれるデザイン関連の仕事は何でも引き受けてきました。写真撮影からチラシやポスター、ホームページはもちろん村の議会の選挙の看板まで。知り合いの漁協組合の方から看板の制作を頼まれた際は専用の機械まで買いました。この話には続きがあって、なんと開業前だったために看板制作の報酬がアユ100匹だったんです!十津川村らしいといえばそうなのですが。二人では食べきれなくて村の人に配ったのも、いい思い出です(笑)。また、私の写真が評価され、村の観光協会から年間のイベント撮影の仕事をいただいたときには、十津川村に戻ってくる際に抱いた夢が叶ったようでした。応援してくださっている村の皆さんには本当に感謝しています。
写真撮影から動画撮影・編集へ
村民の笑顔届ける「とつかわテレビ」制作を担当
十津川村のPRになればと、2007年から村の風景やイベントの動画をテレビ局に投稿していました。動画制作が面白くなり、パソコンでの編集作業を独学で学びました。2011年の紀伊半島大水害で仕事が苦境に陥る中、転機となったのは、翌年の紀伊半島大水害からの村の復興大会。ビデオ撮影を担当させてもらい、ケーブルテレビで放送することになりました。村の人からの反響もあり、2013年からはケーブルテレビの番組制作を担当し、月に2~3本、入学式や卒業式などの学校行事、季節のイベントや高齢者のゴルフイベントなどの動画を撮影し、編集しています。妻にもインタビュアー、レポーターとして出演してもらい、夫婦二人で村中を撮影して回っています。
最初は表情の硬かった人たちが、カメラを前に気さくに話してくれるようになったり、「いつも観てるよ」と村民の方に声を掛けてもらえたり、村の子どもたちの成長を実感できるようなときには、それまでの苦労を忘れ、やりがいを感じますね。村にいるからこそ撮れる人々の素顔や村の魅力、子どもたちや村の人たちの財産になるような記録を残せたらと思いながら仕事をしています。今は誰もが動画を撮って世界中に流せる時代ですが、私はこれからも会える距離にいる村の人たちが喜んでくれるようなものを作っていきたいと思っています。コロナ禍で人との交流が減る中ですが、この日本一広い村で、テレビを通じて村人と村人を結ぶ役割を果たし、ふるさとに恩返しできればと思っています。
村人のツボ
奥さまとの出会いは十津川村の福祉施設。そこで栄養士として働いていた奥さまと、施設のイベントの際に広報物制作のボランティアに参加したご主人は、正反対な性格ながらもその違いを新鮮に感じ、また共通する価値観に惹かれたそう。2005年に結婚されてから、今でも仲睦まじく暮らされています。
また、高校時代に軽音楽部に所属していた岡さん。今でも仕事の息抜きに、好きな音楽をかけながらギターを弾くことがあるそうで、常に作業机の横にギターが立てかけられています。「苦労の先に充実がある」——これまで紆余曲折あった岡さんの人生を支えてくれたのはこの言葉。うまくいかなくてめげそうなときでも、高校時代にギターの練習を諦めずに続けていると何かの拍子にできるようになったことを思い出し、頑張って来られたとのこと。このギターは、どんな困難も乗り越えていける強さの源なのかもしれません。