5村人

のめりこんだことはとことん突き詰める
十津川村の伝統を後世に受け継ぐ剣道名人

橋谷 敏明さん

剣道七段の腕前で、伝統ある十津川村の剣道を指導する傍ら、能面制作もされています。

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掲載日 2022年3月23日

剣道に没頭した高校時代
その後長年指導者として村に貢献

実は、十津川村は元来剣道が盛んな土地柄です。幕末から明治にかけては、「十津川郷士」と呼ばれる武士たちが天皇をお守りしていました。その伝統を受け継ぎ、私が通った十津川高等学校は全国屈指の剣道の強豪校でした。本格的に剣道を始めたのは高校生になってからでしたが、恩師と共に練習に明け暮れ、高校3年生の時には国体選手に選ばれるまでになりました。そして、さらに上を目指そうと、剣道で有名な国士舘大学に進学しました。
大学卒業後は体育教員・剣道部の顧問として十津川高校に赴任。インターハイや国体出場など、常に全国を目指して指導生活が続きました。十津川高校は他校との練習試合が少ないため、インターハイ等に出場しても予選リーグを勝ち上がるのが大変です。できるだけ生徒に試合の経験を積ませたいと、土日は部活の遠征に掛かり切りで、当時は私生活を犠牲にして剣道の指導に当たっていましたね。その後村外の高校でも指導していましたが、十津川高校の剣道指導者が不在になったため、50歳の時に再度十津川高校の教員に戻りました。戻って来てすぐに、部をインターハイに連れていったものです。私が退職した後の十津川高校剣道部には、私の教え子が教員として帰ってきてくれていますし、これまで自分の育ててきた生徒たちが全国で活躍しているのを見聞きすると、うれしくて自慢したくなります。
現在は、十津川村の剣道会長や体育協会の会長を務め、村の青少年スポーツクラブで子どもたちの指導に当たっています。自宅でも、練習用の竹刀で素振りは欠かせません。十津川村の数少ない子どもたちに、十津川の剣道を受け継いでいきたいです。

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十津川の木に新たな価値を
倒木の活用から始まった木工芸術活動

子どもたちに剣道を教える傍ら、退職後の趣味として能面づくりも行っています。きっかけは2011年の紀伊半島大水害。台風により倒れた木をそのままにしている山が多かったのですが、それは木を木材として売っても、作業費にお金がかかりほとんど利益にはならないから。そこで、十津川村の木を木材以外の用途に生かしたいと思い、ヒノキを用いて能面制作を始めました。
はじめはインターネットで作り方を調べて作成していました。大阪へ能面制作を習いに行った時には、能面の作り方だけでなく、実際に能舞台に立って能面をつけて、歩き方も教わりました。すり足と呼ばれる独特の歩き方を学んだ後、なんと能面だけでなく剣道の面もずれずにぴったりとかぶれるように。同じ「面」をかぶる剣道と能、思いがけず通ずるところがあったのです。今では年に数回、能面制作の勉強の一環として能面の展示会や能舞台を鑑賞しに行くのが楽しみです。
動物や鬼、天狗など、さまざまな種類がある能面。能にはそれぞれ物語があり、それを想像しながら作るのが楽しいです。作った面は、毎年村で行われる十津川村文化祭で展示したり、百貨店で個展を開催したりと、皆さんに見ていただいています。木材を譲っていただいた方や、古い剣道の知り合いにプレゼントすることも。これからも能面制作を通じて、十津川の木に価値を与えていきたいです。より多くの人が木工芸術に取り組み、十津川の豊かな木々をブランドとして世にアピールできるようになると良いですね。

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村人のツボ

①後から割れてこないよう、木材を乾燥させています。120年~130年くらいの木が作りやすいそう。

②木材に顔型を描き、彫刻刀などを使って面の形に削り出します。

③絵具とにかわを使い、何週間もかけて色付けをします。色付けはとてもデリケートな作業。塗っては乾かしを十数回ほど繰り返し、ペーパーがけでつやを出します。

④橋谷さんの自宅には、能面がたくさん。いままで150個ほどは作ったうち、100ほどは自宅に飾っているそうです。

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